ゴリ先生のお話2

第4章「吉野川・カヌーの上で思うこと…」

この時期私は週に3日はカヌーに乗ります(仕事です!)。場所は奈良と和歌山の県境を流れる吉野川。五條市内のポイントは上流ほど澄んではいないものの、深緑色の水がたっぷりと流れる鮎釣りのメッカです。ここに通うようになって12年たちますが、やはり気になるのは年々水が濁ってきていることと、生き物が減ってきていることです。

森が荒れると水が濁ります。森に降った雨が、ゆっくりと葉から枝へ、枝から幹へと滴り落ち、地面に浸み込み、長い年月をかけて浄化され、ミネラル分をたっぷり含んだ美味しい水となって湧き出し、それらが集まり、川に流れ込んでいく。このような森と水との営みを維持することが、放棄・荒廃によって保水力を失った森には難しくなっています。

森が荒れると川に(海にも)生き物が減ります。森には腐葉土を作ってくれるバクテリアが棲んでいる。と前々回書きましたが、このバクテリア、実はそれだけではなく雨水と共に川や海に運ばれプランクトンの餌になるのです。つまり森に陽射しと風通しが戻り、腐葉土がたくさん作られるようになると、川や海にプランクトンが増え、その結果魚などの生き物が増えるのです!

私たちは今、木を伐るため、燃料を得るために森に入ることはしません。森とは直接関係のない場所で、便利で快適な都市生活を享受しています。まるで魔法の力でどこからか水を湧き出させ、汚水を処理しているような気になって。しかし、昔から、そして今もこれからも、水は森で貯えられ、森で浄化され、川となって中流・下流に住む私たちを潤してくれるのです。また、私たちの出す汚水は、どこかで浄化させなければ下流の川や海を汚し、その水がまた私たちの口に戻ってくるのです。

ノスタルジーではなく、切実な環境問題のテーマとして、大和川で「安全な」鮎やシジミが採れるようになってほしいと切実に思います。せめて吉野川のように、カヌーなどの川遊びが楽しめる水質に戻ってほしいと思うのです。
川の上流に目を向け、森に帰って来て下さい。そして森に陽射しと風が戻るように一緒に汗を流しましょう!

第5章「ツキノワグマは加害者?被害者?」

夏が終わる頃から、里に下りてきた熊が人を襲い怪我を負わせるというニュースが続いています。ただ畑を荒らしているだけなら発煙筒や花火で追い立てて山へ帰してもらえますが、人を傷つけた熊は容赦なく、射殺されているようです。まだ中型犬くらいの愛らしい仔熊が撃ち殺されている映像に胸が痛みます。

私の仕事場(信貴山の周辺)では近年イノシシの被害が深刻化しています。食い荒らされ踏み荒らされた田畑を前に、「農業を続けるなら通電させたフェンスで囲むしかない」という声が上がっています。
なぜ彼らは里に下りてくるのか。理由はとても単純。山に餌がないからです。ツキノワグマ(イノシシも)にとっての秋の主食はドングリです。夏が終わってすぐに熟すものから冬が近づいてようやく熟すものまで、森の木々は数ヶ月かけて実を落としてくれます。そうすることでツキノワグマやイノシシのように機動力の低い生き物が、ノネズミ・ノウサギ・リスなどにドングリを回収されてしまわないように、木々たちが配慮してくれているのです。しかし今年は台風の当たり年。その影響で完熟する前のまだ青いどんぐりたちまで落下してしまい、彼らの口に入る前に、先の小動物たちが2~3日で地面の上に落ちたどんぐりを全部集めてしまったのです。

餌がなければ餌のある場所に行く。それが自然の摂理です。森に隣接する餌のある場所。そこは過疎化と高齢化が進んだ中山間地の集落です。人が大勢いればそう簡単には近づけませんが、僅かに残った高齢者だけで村を守っているような場所だと、彼らは安心して堂々と果樹を食べ残飯を漁ります。そして運悪く彼らと出くわした人が怪我をすることになるのです。

しかし餌不足は今に始まった話ではない。彼らはこのギリギリのところで食いつないできたのです。ただその彼らに台風が追い打ちをかけただけの話です。

経済効率と便利さを求め、都市に集まった私たち。その私たちが棄てた森。そこから追われ里に出ては人を傷つける動物たち。一体誰が被害者で誰が加害者なのでしょうか?もう一度彼らと棲み分けお互いが不幸な出会いを経験しないためにも、私たちはまた森に帰り、森が元気を取り戻すように汗を流さなければならないのです。

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