ゴリ先生のお話1

里山復興協力隊の鈴木さん(ゴリ先生)の山林についてのお話です。

第1章

日本の国土に対する森林の占める割合はおよそ三分の二です。これはフィンランドやインドネシアと世界一の座を争う数字です。「昔々、おじいさんは柴刈りに…」という表現があるくらい、日本人は古くから森の恵みに支えられ森と共に生きてきました。燃料・食糧・建材、そして心の拠り所として、森は日本人にとってなくてはならない存在でした。

しかし戦後プロパンガスの普及によって、燃料を求めて人々が森に入ることが激減しました。また安価な南洋材の輸入が盛んになり、折角植林した杉・桧も建材としての価値を失っていきました。こうして半世紀を経た日本の森は、成長するに任せた木々が生い茂り、あるいは笹藪の上に葛の蔓がからみつき、陽当たりと風通しの悪い不健康な状態に陥っています。

たとえば二次林(いわゆる雑木林)では10人乗りのエレベーターに三千人が詰め込まれているのと同じ状態です。健康な状態の実に300倍の混み具合なのです。また杉・桧に代表される植林地では1ヘクタール当たり3千本植えられた苗木を50年間に5百本にまで減らしておかなくてはなりません。しかし人件費がかさみ手入れをすればするほど損をする状況の中で、植林地は間伐も枝打ちもされず自然に枯死する木を除けばほとんどが植えられた時のままの状態で放置されているのです。

第2章

日本の森は、雑木林の場合、十人乗りのエレベーターに三千人が押し込められている状態にある、と前回お話ししました。1ヘクタールあたり数十万本も密生している森は千本程度に間引かなければ健康な状態には戻れないのです。「木を切るのは環境破壊だ!」という人もいますが、日本の森は切らなければ不健康なままの(場所によっては死にかけの)森なのです。

皆さんが新しく森林整備に入る場所も,長く放置されたために陽当たりと風通しが悪くなっています。こういう森ではバクテリアが活性化しないので、腐葉土が作られません。降り積もった折角の落ち葉もただカビていくだけなのです。

間伐作業が始まりました。一本の木が倒れると、そのたびに、さっと日が射し込み、どこからかすーっと風が吹いてきます。その時の気持ちよさは、他に例えようがありません。森が深呼吸をしたのが分かります。私達が心地いいのは、森が心地よくなってくれたからだと感じます。カビくさかった地面の匂いが、温かい日溜まりの匂いに変わっていきます。

第3章

半世紀近く放棄されてきた落葉広葉樹林は、樹木の数を300分の一に減らさなければ元の元気な状態に戻れません。一口に300分の一といっても、作業は多岐にわたります。そのあらましをご紹介します。

作業はまず下草、特に笹の刈り取りから始まります。しかし片っ端から刈ればいいわけではなく、たとえば春先だと白い花を咲かせている野イチゴの仲間はそのままにしておきます。大きなカゴ一杯に採れた野イチゴはそのまま食べてもよし、鍋で砂糖と一緒に煮てジャムにするのもよし。ほんとに美味しいです。

下草が刈れたら、次は枯木・風倒木・病害木を切り倒します。どこのフィールドでも目につくのは立ち枯れたアカマツたちです。アカマツは逆境に強く、元々痩せた土地を好みます。落ち葉が降り積もり富栄養化した土壌では体力を低下させ弱っていきます。松食い虫や酸性雨が枯死の原因に上げられていますが、むしろそれらに簡単に負けてしまうくらいアカマツの免疫が低下していることが問題なのです。アカマツをさらには松茸山を甦らせるためには、周囲の落葉樹を切り、落ち葉を「さらい」(メカキクマデ)で掻き取るという作業を毎年繰り返すしかありません。

昔から、森で採れた木や落ち葉の少なくとも半分は森の外に出さなければいけないと言われています。そのままにしておくと、結局林床に陽が届かず、風通しも悪いままになるからです。切り倒したコナラやクヌギは枝葉や幹を一㍍くらいに切り分け、薪や焚き付け・炭焼きの材料・椎茸栽培の原木に利用します。等高線に平行に帯状に掻き落とした落ち葉は、田畑に持ち出し堆肥にします。田畑の肥料はどこかで買うものではなく、森から有り難く戴いてくるものだったのです。

人が森を捨てたとき、日本の田畑に大量の化学肥料や農薬が押し寄せました。化学肥料工場から垂れ流された有機水銀が水俣病を引き起こしました。農薬に含まれる塩素が環境に放出されダイオキシンを作り続け、オスのメス化が問題視されています。これらの環境破壊や健康被害は元を辿れば、私たちの生活が森から離れていったことから始まっているのです。

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