最後に(質問など)
これはある講演会での質疑応答です。
質問 ある人がイシガイとヨシノボリ3匹とバラタナゴ、オスメス3匹ずつ一緒にいれて水槽で飼っています。するとイシガイの中からタナゴの子供がたくさんでてきたんですって。イシガイでもタナゴを繁殖させることができるのですか。
答え ニッポンバラタナゴの親戚にタイリクバラタナゴがいますよね。ヨ-ロッパにもいるんですね。それらの魚はイシガイをつかっているんですね。だから、ニッポンバラタナゴもイシガイで繁殖できます。実験室ではイシガイで繁殖させたりしています。
質問 バラタナゴの幼魚がドブガイの中にいる間、貝の何かを食べているんでしょうか。
答え 卵には黄身がありますよね。そこに栄養分があります。それを吸収していって無くなるとでてきます。ドブガイに寄生して栄養分を取っているという形ではありません。ただし場所は借りています。
質問 貝にとっては有難くないことなんでしょうか。
答え 貝も自分の卵をエラの中に入れて育児をするんです。元々エラそのものが水を吸って、水を出す。ということは酸素を送る通過点になっているので、育児をする場所になっているのですね。
それで先ほど見てもらったデ-タからいきますと貝の産卵期は12月~4月ですね、産卵して空になったところにタナゴの産卵が5月~7月ときているのですね。だから、有難迷惑かもしれないですけれども、卵がいっぱいで窒息死した貝は知らないです。入っている時は滅茶苦茶入っていますよ。400~600個ぐらい入っています。
質問 子供たちがこの地域に住んでいて、あまりタナゴを知らないと思います。お母さんがたも知らない。先生のような専門の方が教えてくださるのはとても喜ばしいことですが…、そのような機会があるのでしょうか。
答え 出きる限り僕は動こうと思っています。地域の方も八尾の住民の方もなかなか見る機会がないと思います。子供達でも全然知らない子がいっぱいいます。できる限り見る機会をつくろうと考えていますが、なかなか思うようには動かないです。
質問 コンクリ-トで改修した池ですが、タナゴの稚魚をみました。アオコが広がっていますがこれから大丈夫でしょうか?
答え アオコではなくアオミドロなら今のところ大丈夫だと思います。稚魚が増えているし、貝も増えると思います。が、これから先改修工事の影響がもっとでてくると思うんですね。
質問 農薬の影響が何年かたったらでてくるとか、そんなことはないですか。
答え 農薬の影響というのは、環境ホルモン的な意味では今後でてくる可能性は充分あると思います。それよりも今は直接的なもので、今当然農業されている方が農薬を使いますよね。農薬の入っていたものを直接池で洗われたりすると一挙にフナが浮いたりするんです。「昨日生きていたのになんでやろ」と思うのですが、たぶんそんなことだろうと考えるのです。そんな場合があるのです。周りに農薬を撒いている程度の話では、環境ホルモンとしての問題は別として、すぐに影響はでてこないです。今保護池のまわりで、農薬を撒かれていますが、池には直接影響はでてこないです。もっと間接的に、長い目でみたらでてくる可能性はあると思います。
質問 メスが長い管を出しますね、あの管は卵を送り終わった後はどうなるんですか。
答え 1、2日の間にお腹の中にある約20個の卵を貝へ産みこみます。1回の産卵で、1個から3個ぐらいしか出さないのですね。1日か2日で産み終わったら大体1週間休憩して、また次の産卵周期がまわってきて伸びてくるのです。だから管は伸び縮みするんです。一番短くなると5mmから1cmぐらいになりまして、伸びると4cmぐらいになります。まったく産卵しない冬場になるとでてるか、でてないかわからないぐらい、1mm、2mmぐらいのサイズになります。
質問 1回に2、3個、次に産む時は別のオスとペアになるんですか。浮気して…。
答え そういうことです。浮気ではありませんけど。
質問 ニッポンバラタナゴは八尾にしか棲息していないといわれていますけど、八尾でやっている農業や自然は全国どこでも同じようにも思います。何故八尾にしか残っていないのでしょうか。
答え 実際日本列島に残ったバラタナゴということで、記録にあるのは琵琶湖、淀川水系、そこから西側ということで、当然兵庫も広島も九州も全部生息していたということなんですね。今残っているのは八尾のあたりと四国の高松のあたり。九州産は遺伝的に少し違います。ニッポンバラタナゴですが、これはかなり分離されています。それで後の兵庫とか、岡山、広島産のグル-プは何で消えてしまったかということなんですが、こんな形のため池が残っていたら…。ひょっとしたら残っているかな?なんでやろね。利用の仕方が違うんかな。
元々、琵琶湖淀川水系は大和川と繋がっていましたからね。そのクリ-クとして高安の川に流れとして入っていて、その一部分として田んぼを作っているところのふちで、ため池をつくっていたんですね。どうしてここだけ残ったか不思議ですね。たぶん、今後20年ぐらいは、農振が通ったと言ってますから、あの状態が続くと思いますが、地場産業そのものが続くかどうかが問題です。市街化調整区域はそのまま残ると思いますけどね。
質問 ブル-ギルなどが入る前は、天敵はなんだったのですか。
答え 鳥が食べていたでしょうね。去年、保護池でタナゴが増えたのですが、鳥が一生懸命食べていました。昔だったら樋を抜いてザーっと流していたんですね。大きな貝やモツゴやエビ、モロコを採って食べていたんです。キンタイ(ニッポンバラタナゴの地元の呼び名)は、肝の横の胆のうが大きくて苦いですからニガブナといって食べずに全部流すわけですね。流すことによって次の年また増えるということになっていたんですね。それで僕らも増えたら食べようかといってたんですが、去年機会を逃してしまいました。
そしたら僕らの変わりにサギが食べていました。だから鳥が天敵というたら天敵です。だから鳥に食われるんやったら僕らが先に食おうと思っています。今年の秋には佃煮をつくろうと思っています。ドブガイの佃煮とタナゴの佃煮をいっぺん作ってこの会にも配って食べていただこうかなと思っています。
保護といいますと1匹が大事という感覚がありますが、僕はその感覚がちょっとおかしいと思っています。実際にはドビ流しという形でザーとみんな流してしまって、それはそのまま流れてしまっていたんですね。だけれども次の年にはきっちりとリサイクルで戻っているわけですね。そしたらリサイクルできるその環境全体を残すということが保護というわけで、そのうちの1匹のタナゴをいくら残しても意味がないですね。
昔は生活のなかに入って、食材として皆さん食べられていた、それがちゃんとしたリサイクルの保護になっていたとこういう話なんですね。それを実現したいと思うんですが、なかなかそういうわけにはいかない部分がありまして…。まあ、今年はドブガイを一度味見をしてみたいと思っています。あのね、霞ヶ浦にいった時にタナゴの佃煮を売ってるんです。その時食べたんです。関西ではタナゴは食べないです。関東は霞ヶ浦のところで佃煮として売っていて、この苦味が僕は美味いと思いました。苦味が逆に、佃煮として、とことん飴炊きですけれども、山椒が入っていたかそれは覚えていませんが、好い味になっていると思いました。その佃煮を見るとゼニタナゴとか マタナゴとかいろんな種類のタナゴが入っているんです。「わあこれはすごいな」と思いながら食べていたんです。だからこっちのタナゴもいっぺん佃煮にして食べてみたいなと思っています。これは、なかなか研究者には言えないんですけどね。研究者には「なに!これを食べる?」って文句をいわれそうですから。保護っていうのはほんとの意味での保護は難しいですね。
質問 先生の保護池でもタナゴがすごく増えてきたらドビ流しをしていかれる予定なんですか。
答え ドビ流しするんやったらできるだけ小学校、中学校なんかの水槽に入れるか、あるいは、みんな寄って食べるか、どっちかにする方が良いだろうと思います。できるだけいろんなところで増やしてもらうために、増やすというのが大事だと思いますが、生活の中のリサイクルをどないかして再現できないかと、そっちの方がより大事なことだと思っています。
質問 昔は食べていたんですか。
答え 関西の方ではタナゴは食べていないようですけれども、関東では食べていました。ここら辺はモツゴやヨシノボリなど全部ジャコとして食べられていますね。スジエビは豆と一緒に炊きこんで食べられています。
質問 タイリクバラタナゴはいつ日本に入ってきたのでしょうか
答え 戦後ソウギョなんかを食料として中国から持ち込んだときに入って来たんです。だから1950~60年頃に入っているはずです。
地域と環境保全について
高安の環境全体を守るということになりますと、あの地域は市街化調整区域で、やはり行政の力というのはものすごく大きいです。行政の方向がちょっと変わって、住宅街が出来てしまいますといくら守ろうと思ってもダメになります。まず、それが大きい問題としてあります。
それから地元の地場産業、これがものすごく大事で、今、後継ぎが花屋さんにも植木屋さんにもなかなかいませんで、難儀な状態なんですね。花屋さんは今でも花を作るとき、ため池の水を多少なりとも使います。植木屋さんの方は使っていないので、池がほとんど死にかけています。花卉栽培の場所では今でも使われています。田んぼで使う量と比べたら、格段に減っていますが、環境で考えたら使う使わないの差ははっきりでています。花を作られているところの自然環境はまだ残っています。それを思うとこの地場産業がどういう形で続いていくかその辺のところが次の世代の大きな問題になってくると思いますね。
元々ため池は田んぼにドビ流しをするという形でリサイクルがあって、その時タナゴも全部流すそうですね。ところが貝の中に残っているとか、1部残っているだけで次の年にはまたバ-ッと増えるわけです。
だから、タナゴが1匹死んだら大変だから、管理するのが大変だということじゃないわけですね。元々いっきに増えるんですね。だから、昨年造った保護池では、今年はたぶん万単位になると思います。なるけれどもあそこへ、農薬が入ったら全部駄目になります。だから、その1個の池にタナゴが繁殖していることが維持されていても、農薬が入るだけで、絶滅してしまいます。
となったら少なくともこういう池が20から30必要なんです。農薬が入った場合にはそれを流して、新しく水を替えて、向こうの池からタナゴを持ってきて、貝も入れて、元に戻していく。ブラックバスが入ったら樋を抜いて完全に流してしまって一旦空にして他の池から持ってくる。すると1年ですっと回復するわけですね。
だから、水槽で一生懸命飼って遺伝子を残そうとかね、僕の感覚では、そんなことやってほんとに種の保存ができるのかというと疑問が残りますね。地場産業が衰退していくとなると、地域の方とか住民の方とかで、少なくとも20、30のため池はタナゴが成育できる環境を維持するという運動をして、意識的に環境を残して行くしかない。 地場産業がなくなっていけば最終的にはそういう方法しかないと思います。
それで種をある程度残すサイズといえば10の池では心配。20ぐらいの池を残していける方法はないかと考えています。生活に密着していたから、何百と残っていたわけです。今400ぐらいため池があるわけですが、今後もため池が残っていくようにするにはどうしたらよいか、活動することも大変だと思います。
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