コラム 池の中の小宇宙

 四月下旬にもなると水も少しはぬるみはじめるので、半袖のウェットスーツを着て、水中メガネとシュノーケルをつけ、岸辺からできるだけ水底をかき回さないようにして、ゆっくり池に入っていきます。
 すると、ドブガイの周囲にまわばりをもつバラタナゴのオスが背びれと尻びれを震わせ、メスに求愛しています。そこへ、ハゼ科魚類のヨシノボリが現れ、ドブガイの背に這い上がり、大きな目をぎょろつかせペアをじっと見ています。またヨシノボリがちょっかいを出しに来たのかと思い、邪魔者あつかいをしていたのですが、この三者には意外な関係があったのです。
ドブガイの産卵ピーク時である3月の下旬ごろにヨシノボリを採集すると、胸びれや尾びれに0.5mmほどのおにぎり型をした砂粒らしきものがいっぱい付着しています。いったいこれは何だと思い飼育してみると、その粒はあるとき一斉に底に脱落し、動き出したのです。よく観ると二枚の殻をもつドブガイの幼生(グロキディウム)でした。
 ドブガイのメスは、オスが水中に放出した精子球を吸い込み、えらの中で卵を受精させ幼生に成るまで育てます。そして親貝から吐き出された幼生は、殻の縁に付いている一対の爪でヨシノボリに寄生し、その後脱落して底生生活にはいっていきます。だから、ドブガイのえらは、本来、自分の幼生を育てるための育児のうだったのです。その育児のうを一時的に借りることでバラタナゴも繁殖できるように共に進化したのでしょう。このように、他の個体に育ててもらうことを育児寄生と呼びます。ところで、バラタナゴはドブガイに、ドブガイはヨシノボリに寄生しているのに、ヨシノボリはいったいどうしているのでしょうか?
 バラタナゴの産卵行動を観察しているときのことです。例のようにヨシノボリが現れました。メスがドブガイの出水管を覗き込み産卵のタイミングを伺っています。次の瞬間、メスが前進すると、長い産卵管がみごとに貝の中へ滑り込みました。その刺激で貝が殻を閉じたとき、中から卵がこぼれ出してしまいました。その卵に逸早く喰ついたのがヨシノボリだったのです。どうもヨシノボリはドブガイから吐き出されるバラタナゴの卵や泳ぎ出してくる仔魚を餌にしていたようです。ため池というこんなに小さな空間の中でも、水中メガネとシュノーケルさえあれば、いつでも小さな宇宙を垣間見ることができるのです。

加納義彦(2002)貝に托した卵をめぐる精子競争 動物たちの気になる行動(2) 恋愛・コミュニケーション編 裳華房