貝に托した卵をめぐる精子競争

加納 義彦

 コイ科魚類のタナゴの仲間は、ドブガイなどの生きた淡水二枚貝のえらの中に産卵するという興味深い習性をもっています。貝に卵を托すことによって、他の生物にもっとも捕食されやすい卵や仔魚の時期を保護してもらうわけです。
 春から夏にかけて、バラ色の婚姻色を現すバラタナゴの雄は、ドブガイの周囲に縄張りをつくります。そして、長い産卵管を伸ばした雌を貝まで頻りに誘導してきます。誘導された雌は、下の方から寄り添うように雄に重なり、ゆっくり前の方へ移動し、貝の出水管を覗き込みます。その間、雄は背びれと尻びれを小刻みに震わせ求愛しつづけます。雌は出水管の上で逆立ち状態になったとき、いきよいよく前進しながら腹をしぼり、長い産卵管を貝の中へ挿入し産卵します。その直後に、縄張り雄は貝の入水管の上をかすめるように通過し放精します。この雄の行動をスキミングと言います。
 貝に托された卵は、約1カ月後に遊泳力をつけた稚魚になり貝の出水管から元気よく泳ぎ出してきます。このようにして、バラタナゴは1回の産卵行動で平均1個しか卵を産まなくても、種が維持されてきたのです。だから、雄にとって1つの卵を受精させることは、非常に大切な繁殖成功であるに違いありません。
 バラタナゴの縄張りは夜になると解消され、翌朝また雄たちは貝のいる浅瀬へ少しずつ集まってくるので、いつでも同じ雄が同じ貝に縄張りをつくるとは限りません。実際、観察している途中でも、雄どうしの闘争によって縄張り雄が入れ換わることもあるし、それに伴って、ペア産卵からグループ産卵に変わってしまう場合もあります。
 (グループ産卵の様子)
 野外のため池で、比較的安定した縄張りをもっている大形の縄張り雄を選び、ビデオ解析をしてみたところ、特定の侵入雄(スニーカー雄と呼びます)がその縄張りに繰り返し侵入し放精していることがわかります。水の底を這うようにしてこっそり貝に接近してくる雄や、水面近くを遊泳していて、縄張り雄の隙を伺いながら急降下して貝の入水管の上で放精して逃げる小形の雄、さらには、雄なのに雌のように振る舞いながら、ゆっくり貝に接近し、縄張り雄の求愛行動に応えながら放精して立ち去っていく雄まで現れます(女形戦術と呼んでいます)。これらのスニーカー雄の放精タイミングを調べると不思議なことが起こっています。というのは、そのタイミングが産卵直後だけでなく、雌の産卵前の2分間に集中しているからです (図2)。このような雄が行う雌の産卵前の放精行動を、産卵前放精(プレ-スキミング)と呼んでいます。この行動はバラタナゴだけではなく、同じように貝に産卵するタナゴの仲間のイタセンパラでも観察されています。
 体外受精を行う魚においては、雌の産卵前に放精する行動は非常に珍しいことです。というのも、体外受精魚では、放出された精子はすぐに拡散してしまい受精能力が低下するためだと考えられるからです。バラタナゴの場合は、しかし生きた貝のえらの中に産卵するため有効な産卵前放精が可能なのです。この行動をビデオで拡大して再生すると、スニーカー雄の放精行動に伴って雄の腹部から白い雲のような液体が放出されているのが明瞭に観察できます。そこで、産卵前放精によって卵がほんとうに受精されているかどうかを検証して、この『気になる行動』の意義を考えてみたくなります。
 まず初めに、貝の中で卵はどのように受精しているか考えてみましょう。放出された精液は、貝の入水管から吸い込まれえらを通過して出水管から出ていきます。食紅を溶かした液を入水管から入れ、何分間で排出されるかを調べると、早くて3分、遅い時は10分たっても出てこない場合があります。やはり、貝のご機嫌しだいなのでしょうか。一方、卵は出水管から雌の長い産卵管によって貝のえらの中へ産み込まれます。産卵直後に貝を少し開いて覗き込んで見ると、ほとんどの場合、卵はえらの入口付近で止まっています。その後、卵はどのようにしてえらの奥まで入っていくのでしょう。とにかく受精はこのえらの中で達成されるようです。したがって、放出された精液は少なくとも2〜3分は貝内で蓄えられていることになります。
 次に、精子と卵の潜在的な受精能力を知る必要があるので、体外へ放出された精子と卵の受精可能な時間を調べました。精子は放出されてから2分で70%、3分で10%まで卵を受精させる能力が低下しましたが、卵の方は、放卵されたから8分間経っても受精能力は100%維持されていました (図3)。顕微鏡で放精後の精子の動きを観察してみると、すべての精子が完全に動きが止まるまで、ほぼ4分間かかりました。この段階で、産卵の4分以上前の放精はあまり有効でないことがわかります。
 
以上のことを考慮して、
1) 産卵前放精で卵は受精されるか?
2) 産卵後において放精の順序が受精成功と関係があるか?
3)産卵前放精と産卵後放精のどちらが有効か?
という疑問点を検証してみました。
1) については、雄の産卵前放精が観察されたとき、雌の産卵直後に水槽を軽くたたくことによって、雄の産卵後の放精を止め、産卵前放精の有効性を確認することができました。しかし、2) と 3) の問題については、行動観察だけでは判定できません。そこで、遺伝的マーカーであるアイソザイムを用いて、父子判定を行こないました。結果は、2) について、産卵直後に力の強い縄張り雄がまず放精し、その後でスニーカー雄が放精するパターンが多く、その場合、受精された卵はすべて縄張り雄の子供でした。3) の場合は、スニーカー雄の産卵前放精と縄張り雄の産卵後の放精が観察できた3例で、常にすべての卵がスニーカー雄によって受精されていました(図4)。
 そこでさらに、一つの疑問が残ります。『なぜ、スニーカー雄は雌の産卵のタイミングが予測できるのでしょうか?』。産卵後にスニーカー雄が放精するのは理解できるのですが、産卵の前の2分間に放精が集中しているのは何故かということです。
 
 今ここで、2つの仮説を立ててみましょう。第一に、雄の放精行動は雌の産卵を誘発させることができる。その結果として、スニーカー雄の産卵前放精が生じた。
第二の仮説は、スニーカー雄がペアの行動や雌からの何らかの情報(たとえば雌の出す性フェロモンなど)によって産卵の時期を読み取ることができるという仮説です。
 第一の仮説が正しければ、縄張り雄も頻繁に産卵前放精を行うでしょう。縄張り雄はスニーカーがほとんど侵入してこないときは、有効な産卵前放精をときどき行います。しかし、スニーカー雄が頻繁に侵入してくると、産卵前放精がまったく見られなくなるのです。それに比べて、スニーカー雄の産卵前放精は有効に行われます。ペアの行動とスニーカー雄の産卵前の放精行動を比較したところ、縄張り雄が雌を貝へ誘導するタイミングとスニーカー雄の放精するタイミングの間に有意な相関があり、その時間帯がちょうど産卵前の2分間になっていたのです。この結果はどうも第二の仮説を支持するようです。なぜでしょうか? 縄張り雄が雌を貝へ誘導することは、雌の産卵が間近に迫っていることを意味し、同時に雌に対する求愛行動によって、スニーカー雄に対する防御力が低下するからです。

 このように縄張りをもつことができなかったスニーカー雄のプレ-スキミングは、貝に托された卵をめぐる精子競争に打ち勝つための繁殖努力だったのです。

参考文献
石橋亮(1998)魚類精子の運動性 ボテジャコ 2 魚類自然史研究会
加納義彦(1991)選ばれなかった者の戦術 動物たちの地球 1 朝日百科
M. R. グロス(1989)魚類の繁殖戦略の進化 魚類の繁殖行動 後藤晃、前川光司(編) 東海大出版会
長田芳和、小川力也、国富隆夫(1984)イタセンパラの繁殖行動 淡水魚 10 淡水魚保護協会
福原修一、長田芳和(2000)貝に卵を産む魚 トンボ出版

バラタナゴ  (学名)Rhodeus ocellatus




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